好奇心そのまま!

毎回「ちょっと勉強になる」記事を

藤原兄弟の大喧嘩

元々、平均的な日本男児のご多分にもれず、戦国時代や幕末が大好きなのですが、最近は、平安時代が熱いです!

 

平安時代、めっちゃ面白いんですよ!

 

奥山氏の「時平の桜、菅公の梅」が面白かったので、そのついでに、当時の権力争いという名の兄弟喧嘩について語ります(^^)

 

最近まで、「藤原」といえば、藤原道長しか知りませんでした。しかし、そんなもんじゃないでしょうか?小学生のとき、「思い通りにならないことはない!」という非常にわかりやすい権力者の歌を歌ってくれたおかげで、小学生なりに記憶によく残る人物です。

 

しかし、最盛期ともいわれる道長が生まれるより数十年前、あの学問の神様として今も愛される菅原道真公が活躍した時代、このときの藤原が非常に面白いわけです!

 

その時代の藤原を語る上で欠かせないのが、

藤原基経(モトツネ)ヽ( ´ ▽ ` )ノ

です。

 

f:id:saneful92:20191201201723j:plain

藤原基経 <菊池容斎前賢故実』より>

基経(モトツネ)は、4人の天皇の時代に渡って、頂点に君臨し続けた、スーパー権力者。

 

 基経のお父さん(養父)である藤原良房(ヨシフサ)が、藤原氏の全盛時代の礎を築いた人と言われる、やり手の政治家でした。

 

基経は、父の良房のもとで権力の階段を駆け上がって行きました。

f:id:saneful92:20191201204150p:plain

 

しかし基経、なかなか苦労します。それは、妹との確執があったからなんです。

 

当時の政治を理解するためには、①女性に期待される役割と、②基経と妹との関係が、非常に重要です。

 

妹の名は「高子」。あの有名なプレイボーイ、在原業平と浮名を流した女性です。

f:id:saneful92:20191201204518j:plain

在原業平と二条后(藤原高子)(月岡芳年画)>

 

高子は、清和天皇の奥さんになりました。良房お父さん、基経お兄ちゃんが、藤原権力を高めるために、高子を天皇と結婚させました。

 

当時の公卿の政治力は、帝(天皇)との血縁関係の有無が決定的に影響します。帝と血筋が近いほど、権力を持つのです。そのため、自分の子供が女の子ならば、皇室との婚姻関係を結ぶことが、権力を得るために最も重要です。自分の娘が帝との間で男児をもうけ、その男児が次の天皇になれば、自分は天皇の伯父ということになるからです。

f:id:saneful92:20191201230627p:plain

 

情けないような気もしますね。娘頼み。


高子にすれば、父や兄の「道具にされている」という想いだったはずでしょう。

 

そのため、とにかく兄の基経と仲が悪い。

 

高子は清和天皇との間に、男児をもうけました。これがのちの陽成天皇(ヨウゼイ)です。

 

基経にすれば、自分の妹が天皇との間に子をもうけた、そしてこれが次期天皇となった。自分の甥っ子が天皇だ!藤原の時代は安泰!

 

・・・のはず。しかし、そうはいきませんでした。

陽成天皇と基経の仲は悪くなっていったのです。

 

なぜ?

 

だって、陽成天皇にすれば、自分のお母さんと仲が悪い人と仲良くする、ってのは難しいでしょう。基経も、どういうテンションで可愛がってやればいいのか。

 

基経「よーしよし、叔父さんだよ〜」

高子「気軽に遊びに来ないでください!息子よ、あの人に気を許してはダメですよ。」

・・・みたいな。

 

そんなとき、陽成天皇が事件を起こしました。人が死ぬ事件だったそうです。陽成天皇自身がやっちゃったのかどうかは議論があるようですが・・・。

 

基経にとっては、これまでやりにくかったし、ここがチャンス!とばかりに、陽成天皇天皇の位から引きずり下ろし、高子と陽成天皇を排除してしまいます。

 

代わりに、基経が天皇に据えたのが光孝天皇です。清和天皇陽成天皇とは、別の系統の方です。

 

この光孝天皇、即位した経緯からして、初めからずいぶん、基経に気を遣っていたようです。というのも、光孝天皇自身は、自分はピンチヒッターだと考えていました。つまり、自分の次は、基経はやはり甥っ子を天皇にしたいだろう、と思っていました。だから、自分の息子は天皇にはならないだろう、と。

 

しかし、基経に警戒されるのはまずい。そこで、自分の息子は天皇にならないことをアピールするために、自分の子供全員を臣籍降下させます。

 

臣籍降下というのは、皇族がその身分を離れて、姓を与えられ臣下のに降りることです。臣下になるわけですから、もう天皇にはなれないのです。

 

気を遣ってますねぇ〜

 

 f:id:saneful92:20191202090733p:plain

 

 しかし、この光孝天皇。55歳で即位しましたが、58歳で崩御、つまり3年で死んでしまいました。この光孝天皇重篤に陥った時、後継者を指名しませんでした。次は、誰が天皇になるべきなのか?最高実力者である基経は考えます。

 

光孝天皇は、前述の通り、基経さんに気を遣って自分の子供が次期天皇にならないようにしていました。しかし、基経にとってみれば、自分の甥っ子、つまり高子の子供を天皇にすえると、また、高子との不仲ゆえに、政治がやりにくくなる。そこで、むしろ光孝天皇の子供を天皇にした方が良いと判断しました。

 

そこで、いったんは臣籍降下によって臣下となっていた光孝天皇の息子(源定省(みなもとのさだみ))を、皇室に復帰させて、彼が次の宇多天皇となりました。光孝天皇にすれば、わざわざ子供たちを臣籍降下させたのに、取り越し苦労でしたね。

f:id:saneful92:20191201175623j:plain

    (宇多天皇

 

基経も、これでようやく安心か?と思いきやそうでもない。

 

阿衡事件と呼ばれる事件が、宇多天皇と基経とのあいだで勃発し、これにより宇多天皇藤原氏を疎んじるようになったようです。そして、この宇多天皇の在位の最中に、基経は逝去します。

 

基経は、自分の死期が近いことを悟ると、自分の息子である時平をどんどん高い役職につけるようになり、時平に、次の藤原を託したようです。この時平は、現在では菅原道真を讒言により左遷させた男として知られています。

 

基経、妹との不仲に苦労しながら、藤原氏の権力を保ち続け、政治の頂点に君臨し続けた男。自分の人生をどのように考えていたのでしょうか。藤原という氏の大きさを守るのに必死だったのか、それとも自分の権力を維持することが生きがいだっただけなのか、あるいは真に日本のためを思ったからこその権力闘争だったのか。

 

一度、基経に話を聞いてみたいですね。

 

 

 

 

 

 

従業員を大切にするとはどういうことか?

カンブリア宮殿で、小松製菓さんの放送回をみた。とくに地方の企業のありたい姿として、1つの理想形を教えてくれたと思う。

https://www.iwateya.co.jp/

 

とにかく従業員の幸せは第一と考え、希望すれば定年を延長できる制度を作り、退職後の従業員が働くことのできる職場を作り、子供を幼稚園や保育園に通わせる人にはパートであるかどうかにかかわらず一定額を支給する。会社で働く人々が喜ぶ仕組みを、積極的に作ってきた。社長がいうのは、「おらが会社」といえるような会社である。

 

その結果、従業員は、「会社のためになりたい」「会社に恩返しをしたい」という想いで、在職中の業務としてはもちろん、退職後もボランティアとして会社に貢献する。

 

元従業員のかたが、「先代社長にお世話になったから、これくらいしか恩返しすることができない」といいながら、会社の周りの草刈りをしている様子に、心を打たれた。これほどに、退職した従業員からも愛される会社、そして社長もいるんだな。

 

僕は東京で働いているが、自分の周りで、そのように会社のことを表現する仲間はいない。まだ若いのかもしれないし、単に自分が知らないだけとも思えるが、小松製菓の従業員の方の、会社に対する想いには、とても熱いものを感じた。

 

先日、「ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み」という本を読んだが、同書には、次のことが書かれていた。

 

「会社は、雇用を守るために存在する」

「雇用を守られる安心感があるからこそ、社員は一生懸命働くことができる。」

 

これらの文章に接したとき、非常に新鮮な想いがしたが、小松製菓も、同じことを実践してきたのだと思う。番組では、60を過ぎた男性が、「この会社ならば、一生面倒を見てもらえる」と言いながら、今まで培ってきた取引先との信頼関係を生かして、会社のために素晴らしい活躍している様子が放映されていた。

 

自分がこれから仕事をする上で、大切なヒントを教えてもらいました。

 

今後、いかせんべい買ってみようっと!

 

巖手屋 いかせんべい 2枚×10袋

巖手屋 いかせんべい 2枚×10袋

 

 

ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み

ありえないレベルで人を大切にしたら23年連続黒字になった仕組み

 

 

 

 

道真公のことを誰よりも恐れ、誰よりも尊敬し、誰よりも理解した男

道真公のことを知りたくて、手にとった一冊。どんどん読み進めてしまうような面白い作品だった。時平を主人公にすえるという面白い試みで、そういう見方もあるかぁと唸らされる内容だった。
 

f:id:saneful92:20191201174712j:plain

『北野天神縁起絵巻』に描かれる時平
 
時平と道真は、立場が異なれば親友にもなりえたのかもしれない。「アマデウス」という映画を思い出した。「アマデウス」では、モーツァルトではなく、ライバルであるサリエリを主人公として描く。そのサリエリだけが、モーツァルトの本当の力を知っている。皮肉にも、モーツァルトという人のことを真に理解しているのは、ライバルであるサリエリだけである。
 
アマデウス(字幕版)

アマデウス(字幕版)

 

 

外野から見れば、もっとも相手のことを嫌っているだろうというライバル本人だけが、相手という人間をもっともよく理解している。道真のことを本当に理解していて、一番高く評価していたのは、時平だったろう。
 
本作では、宇田上皇が、道真を使って口を出しすぎるというところを問題としていた。きっと、これは真実を含んでいるのだろう。上皇の後ろ盾をなしにして、道真が権力を掌握するというのは難しい。

f:id:saneful92:20191201175623j:plain

宇多法皇像(仁和寺蔵)
最後のシーンで、時平が道真の左遷を決定した後、弟である忠平が、「道真と宇田上皇は別に何もしようとしていなかったことに時平も気づいていたはずだ」という。これは、この作品において重要なセリフだったと思う。歴史的には、時平のあとをつぐことになる忠平は、本作では時平の内心を見抜いているかのような振る舞いをする。忠平に、作者の代わりを勤めさせた、ということだろう。
 
 
本作では、時平は日本の桜を好み、大和歌を好むのに対し、道真は中国由来の梅を好み、漢詩を好む、というコントラストを用いて、両者のキャラクターを際立たせている。
 
時平は、以下のセリフを口にする。
 
「大陸からもたらされる技術、学問は新しい。日の本が学ぶべきことが多い。されど、朝廷で自国の言葉を使わぬなど、外にばかり目を向ける国家のあり方は、時平にはどうしても諾と頷く気にはなれぬ。進出と言えば聞こえは良いが、異国と同化することで、見失うものもあるのではないか。そう思うのは、能なき己の僻みだろうか。」(引用)
 
これは、今の世の中にもそのまま当てはまる課題。歴史は繰り返す、とはよく言ったものだ。
 
西郷南洲遺訓には、次の記述がある。
 
「広く各国の制度を採り開明に進まんとならば、先ず我が国の本体を据え風教を張り、しかして後しずかに彼の長所を斟酌するものぞ」
 
欧米各国の制度を採用して日本を開明させるのならば、、それよりも先にしなければならないことがある。まず日本が国の基本をしっかり定めた上で、徳を持ってそれを支えるようにすることである。
 
道真は、「和魂漢才」という精神を唱えたことでも有名であろうから、むしろこの時平の考えは、道真の考えるところと同じであっただろう。最後のシーンで、左遷の決まった道真が、あの有名な「やまとうた」を詠んだという描写がある。この1つのシーンによって、道真の和魂漢才の精神を描写したのかもしれない。
 
 
本作において、道真の考えを端的に示す言葉として、「能なき者は去れ」という言葉がある。紀貫之は、道真のことを「俊才ゆえに誤解され易き方だったのかもしれぬ」という。不器用だったということもできるだろう。実際の道真公も、遠からずだったように思う。社会、政治、学問、そして人間の「あるべき姿」を追求し、それを自分にも人にも求める、そのような誠実であり、かつ融通の効かない姿勢が、他の人たちに受け入れられなかったのだろうと思う。
 
時平は、道真公のことを誰よりも恐れ、誰よりも尊敬し、誰よりも理解した男だったのかもしれない。
 
歴史にifはないけれど、時平と道真が、個人と個人として出会うことができたなら、どんな関係になったのだろう。
 
また、道真が政治家ではなく、貫之のような歌詠みとして生涯を全うしていたら、あるいは、学者として全うしていたらどうだったのだろう。
 
そんなことを考えてみたくなる。

 

時平の桜、菅公の梅 (中公文庫)

時平の桜、菅公の梅 (中公文庫)

 

 

"神を愛するという人が、隣にいる人を愛せないなんておかしい"

Queer Eyeのうち、大好きなエピソードの1つ。Tammyママの回。

 

母性の溢れるタミーママは、ファブ5に対してもその愛で包むように接します。そんなママに対し、ボビーはゲイであることを理由に教会から拒絶された過去を告白します。しかしママらとの交流を通して「キリスト教の全員が良い人だとは思えないが、良い人もたくさんいることを知った」と言います。

 

最後のシーンで、タミーママは、拒絶された過去を共有してくれたファブ5のこと、ゲイである息子が戻ってきてくれたことに言及しつつ、みんなに対して語りかけます。

 

"神を愛するという人が、隣にいる人を愛せないなんておかしい"

 

これはキリスト教の核心を示す、とてもとても大切な言葉だと思います。宗教とは、要するに、そういうことだと思うんです。僕はクリスチャンではありませんが、タミーママを心から尊敬できるし、隣にいる人を愛せる人でありたいと思います。

f:id:saneful92:20191113090714p:plain

Tammy

(画像は、Netflix クィア・アイ シーズン2 エピソード1より引用)

 

 

リーダーとは、周りの人を元気にする人

佐々木常夫さんの「働く君に送る25の言葉」という著書が大好きでして。
 
初めて読んだのは結構前だと思います。以来、何度か読みました。
 
その中で、僕が好きな箇所の1つである、佐々木さんのリーダー論。いくつかのセンテンスを同書から引用させていただきます。
 
(以下、各文章は引用)
 
「お会いして、すぐに心をつかまれました。人から好かれる人間性をもつ、極めて魅力的な方だったのです。彼女がいるだけで、その場の空気が和やかになるようでした。その生来の明るさが、多くの人を魅了したのは間違いありません。」
 
「彼女が小布施について語るときの真剣なまなざし。その言葉に込められた深い説得力。私は彼女と話しながら、いかに彼女が小布施を愛しているかを実感しました。そして、小布施に貢献したいと本気で考えていることがひしひしと伝わってきました。」
 
「そんなセーラさんのパッションあふれる姿に、周りの人たちは感動し、力になりたいと思ったのはではないでしょうか?
 
「私は、このような人こそ、「真のリーダー」なのだと思います。その人の存在そのものが、周りの人たちを元気にする。その人がいるだけで、周りの人にも自然とやる気が湧いてくる。そして、「また、この人と一緒に仕事がしたい」と思える。そんな人こそが、リーダーなのです。」
 
「君は、職場でリーダーシップを発揮できていますか?「いい仕事がしたい」「いい職場にしたい」と本気で思っていますか?」
 
「周りの人たちのやる気をかきたてる存在になれていますか?」
 
「少しだけ、自問してほしい。自分はリーダーたりえているか、と。」
 
(引用、ここまで)
 
このセーラさんのエピソードが大好きなんです😄
 
その人の存在そのものが、周りの人たちを元気にする。その人がいるだけで、周りの人も自然とやる気が湧いてくる。」というのは、リーダーたる人にもっとも求められる性質の1つです。
 
自分も、仕事や仕事外での取り組みを通して感じることがあります。
 
1人でできることは限られている」、ということ。
 
人の力を借りないとできないことがたくさんあります。そんなときに一番必要なのがリーダーシップ。
 
リーダーシップといっても、必ずしもみんなをグイグイ引っ張っていくとは限りません。もちろんそういうリーダーもいますし、素晴らしいことだと思います。「この人にならついていきたい!」と思わせるリーダーです。
 
他方、「ついていきたい」とは異なる感情、例えば「この人の一緒なら楽しい」「この人と一緒ならやる気が出る」「この人と一緒なら頑張れる」というのも、素晴らしいリーダーシップです。
 
どちらにしても、「その人の存在そのものが、周りの人たちを元気にする。その人がいるだけで、周りの人も自然とやる気が湧いてくる。」、そんな人間になれるよう頑張ろう!
 

 

働く君に贈る25の言葉

働く君に贈る25の言葉

 

 

明るくて元気な人って気持ちいい!

仕事でお付き合いのあるIさんはいつも元気で明るい!電話越しで伝わってくる😄

 

明るく元気な方と接していると気持ち良い!

 

僕も、いつも明るく元気でいられるようにしよう!

"正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず" 西郷南洲遺訓

西郷南洲遺訓の第17条を考えてみる。

"正道を踏み国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん。"

 

これは、黒船来航以来、幕府が複数の国といくつもの不平等条約を締結したことを批判した言葉であると考えられているようだ。

 

西郷さんにとってみれば、幕府は「彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に順従」したように見えたのだろう。西郷さんのいうように、「正道を踏み国を以て斃るるの精神」を持って、当時の外交に臨んでいれば、結果はどうだったろうか。もしかしたら、日本という国がより尊敬され、条約は平等なものになっていたかもしれない。しかし、戦争になっていた可能性も否定できないだろう。

 

西郷さんは、国が倒れてても良い、という覚悟を持って初めて、より良い結果を得ることができると考えていた。しかし、もちろん戦争になり、日本が滅びる可能性もある。しかし、西郷さんは、それは仕方ない、強大な他国に畏縮するよりはずっと良い、軽侮されるよりはるかに良い、と考えていたのだろう。つまり、結論よりも、「在り方」「生き方」こそが重要なのだ、ということだと思う。

 

この第17条は、個人と個人の交渉や話し合いにもよく通じる。「正道」を踏んで、もしうまくいかなければ自分が倒れてもやむを得ないという精神を持たなければ、真に良い交際をすることはできない、という教えである。自分の身が可愛いという考えを持ち、嫌われないように、自分の考えを控えるのならば、本当の交渉はできないし、本当の交際もできない。嫌われるとしても、それが「正道」を踏んだ結果であるならば、それは喜んで受けるべきだ。

 

「正道」の中身は難しい。場面によっても文脈によっても「正道」の中身は異なるだろう。「正道」だと思ったことがそうではなかった、ということもあるだろう。しかしそれでも、「正道」を踏むのだ、という考えを自分の内側に秘めながら、自分にとっての「正道」をその都度考え、実践することにより、真の「正道」に近づき、実践することができると思う。

 

新版 南洲翁遺訓 ビギナーズ 日本の思想 (角川ソフィア文庫)