好奇心そのまま!

毎回「ちょっと勉強になる」記事を

デイル・ドーテン「仕事は楽しいかね?」(きこ書房)

本書の内容について自分の理解を示して、自分の考察を示します。

 

【本書が解決しようとする課題】

頑張っても出世できるとは限らない。どの会社が将来においても存続しているか分からない。いつ、仕事がなくなるかもしれない。そんな不安な生活の中で、どうしていいか分からない。

このような問題を解決するために、目標を決めて計画を立てるという成功法則や、自分の人生を管理するという成功法則が語られることがあるが、いずれも誤りである。自分の人生は、管理できるほど単純ではない。また、目標に固執しなかったからこそ成功した人は多い。

 

また、好きなことを仕事にすることが最高である点は、本書も認めている。したがって、「好きなことを仕事にしなさい」というアドバイスは正しい。しかし、問題なのは、「好きなこと」が何かわからない人が大半であるという事実である。そのため、大半の人にとっては、このアドバイスは有効ではない。

 

それでは、どうするか?

 

【本書が提案する課題の解決方法】

毎日、違う自分になること。そのために、試してみるためのアイデアをどんどん出して、あらゆることを試してみること。

 

勤勉であることは必要条件であるが、それで十分ではない。同じような実力を持ちながら、成功したものとそうでないものがいる。その差は、試してみた数が違う店にある。サイコロをふった数が多いほど、勝ちも多くなる。

 

試してみるためのアイデアはどうやって思いつくことができるか?簡単である。日々の自分の仕事と、自分が感じた問題や同僚から聞いた問題などを書き出してみる。そうすれば、試してみるためのアイデアはいくらでも出てくる。あらゆるインプットを、試してみるためのアイデア探しだと位置付ければ、本を読んでも、映画を見ても、たくさんの「試してみるためのアイデア」が生まれてくる。

 

あとは、「試してみるためのアイデア」を書き出して、試してみるのみである。

試してみることに失敗はない。

 

【考察】

仕事は楽しいかね?

最近、友人から同じ趣旨の質問をされて、YESと即答できなかった。そこで、改めて何かを変えないといけないと感じていたところ、本書のタイトルに惹かれ、本書を手にとった。

 

洋書の啓発本に多くあるように、本書においても、多くの実在の人物の成功例を参照している。いずれも、多くの成功者は、目標を決めて計画通り進めて成功したのではなく、思ったことや感じたことを、試し続けた結果成功したということを示すためのエヴィデンスになっている。

 

正直なところ、本書は、この問いに答えることを一本筋とした構成ではないようだ。しかし、意識的に、「試すアイデアをリスト化して、あらゆることを試してみる」ということに取り組むことにより、能動的な時間を過ごすことが可能になる。その結果、仕事が楽しくなるかもしれない。

 

また、試してみるのは、今の仕事に限らないだろう。もし、関心のあることがあれば、それについても、試すアイデアをリスト化し、すべて試してみればよい。ついつい口だけになってしまいがちだが、「試してみることに失敗はない」のだから。

 

 

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

仕事は楽しいかね? (きこ書房)

 

 

百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)

有名な松下村塾を開いた、玉木文之進という人がいます。吉田松陰の叔父さんであり、松陰の青年期の師匠です。

 

司馬遼太郎さんの「世に棲む日々」のなかに、文之進の描写が登場します。彼が、藩の官僚に任じられた頃のことです。

叱らないといえば、文之進はいっさい下僚 を叱ったり攻撃したりしたことがない。どの藩でもそうであったが、民政機関には賄賂や供応がつきもので、とくに下部の腐敗がはなはだしかった。当然文之進の性格からすれば、それを激しく悪みはしたが、しかしそれらの患部を剔りとるという手荒なことはせず、みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにしむけた。松陰の文章を借りれば「自然と貪の恥づべきを悟る如くに教訓するのみ。」

 「百術不如一清」というのが、ながい藩役人生活における文之進の座右の銘であり、そのことばを印に 刻 ってつねに使った。行政上のテクニックなどは行政者の一清に 如かない、と信じたこの人物は、維新後は中央政府には仕えなかった。 

 

文之進は、武士というもののあり方を自ら実践し、また生徒に教え込んでいたそうです。その武士のあり方というのは、徹底的に「私」を廃し「公」であること。

 

そのような文之進にとってみれば、賄賂は「私」のために「公」を害することであり、我慢ならなかったはずです。しかし、文之進はこの悪癖を排除するために、人を叱るのではなく、「みずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるようにみずから清廉を守り、かれらが自然とその貪婪のわるいことをさとるように」したというのが、偉いなぁと思います。自分の身を振り返って思いますが、なかなかできることではありません。

 

彼の生き方を一言で示すのが「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」。

 

文之進は、論語を実践していたのだと思います。

 

論語には、孔子が魯国の重臣である季康子との会話として、次の言葉があります。

季康子 政を孔子に問う。孔子対えて曰く、政とは正なり。子帥いるに正を以てすれば、孰か敢えて正しからざらん、と。 

季康子 盗を患う。孔子に問う。孔子対えて曰く、苟くも子の欲せざれば、之を賞すと雖も、窃まざらん、と。 

季康子 政を孔子に問いて曰く、如し無道を殺して、以て有道を就さば、何如、と。孔子対えて曰く、子政を為すに、焉んぞ殺を用いん。子善を欲すれば、民善なり。君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す、と。

 

僕は、これらの言葉を、次のような意味だと理解しています。

「人々は、上に立つ者の影響を受ける。したがって、上の者は正しく生きなければならない。悪きを罰するのではなく、自らが善い生き方を見せるのだ。」

 

論語の教えによれば、実践しない学問は無価値です。しかし、なかなか実践というのは難しいというのが僕の実感です。

 

玉木文之進の生き方に習いたい。

 「百術不如一清(ひゃくじゅついっせいにしかず)」。

 

 

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

 

 

麒麟がくる「大きな国を作るのじゃ」 

「大きな国を作るのじゃ。誰も手出しできぬ、大きな国を。」

 

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NHK大河ドラマ麒麟がくる」第16回より

シビれました。

 

道三は、自分の父親から「みな1つになれば良い」と聞いてきた、と言います。近年の説では、美濃の支配は道三の一世代で成し遂げたことではなく、道三の父親と道三の二世代で実現したことだ、と考えられているそうです。「父親が言っていた」という言葉は、この近年の説を踏まえたものだと思います。

 

国が小さく力が弱いと、他国から口を出され、干渉され、やがて侵略される。小さな国は、常に周りを心配していなければならない。堂々とはいられない。そうなると、小さな国は平和でいられない。大きな国を作り、国が強力な力を持つことができれば、他者から口出しされることはなくなる。国の平和を守ることができる。戦のない世の中を作るためには、大きな国を目指さなければならない。

 

また、小さな国がたくさんあるから、互いに口出しをしあう。民は惑う。小さな国が集まって、1つの大きな国になる。そうなれば、もう争う相手はいない。そういう意味も込められていると思います。

 

 道三は美濃をとるというところまでに人生を費やしましたが、信長こそ「大きな国」を作ってくれるはずだと、信長を、かつてない大きな国を実現する人間として、単なる思想の後継者という以上の目で見ていたのだと思います。

 

現代において、日本は道三の思い描く「大きな国」になっているのでしょうか。日本は世界有数の経済大国です。軍事力も世界有数。

 

世界の名目GDP 国別ランキング・推移(IMF

https://www.globalnote.jp/post-1409.html

2020 Military Strength Ranking

https://www.globalfirepower.com/countries-listing.asp

 

少なくとも、現代では日本という1つの国があります。他方、道三の時代より、外国が身近になりました。「誰にも口を出されない大きな国」になっているのか、道三の意見が聞いてみたいですね。

 

 

リアルを描いて人気を失った画家〜東洲斎写楽〜

1794年頃に活躍したとされる、謎に包まれた画家、東洲斎写楽

 

「娯楽といえば歌舞伎!」という時代に、歌舞伎の役者絵をなんと前代未聞の28枚同時リリース

 

これが売れる売れる。敏腕出版プロデューサとして知られる蔦屋重三郎が、写楽の才能を見出したそうです

 

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〔市川鰕蔵の竹村定之進〕

 

当時、役者絵といえば、美化して描くもの。現代ではブロマイドやグラビアは写真ですから、絵のような美化はできませんが、それでもたくさん撮って写りの良いものを採用しますよね。画像の加工というのも一般的です。そういう意味では、当時も今も美化して描いているのです。

 

しかし、写楽は美化をしなかった。年齢を経ることによって衰えた女方の役者は、その衰えが伝わるように描きました。

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〔四世岩井半四郎の乳人重の井〕

 

当初は、これが爆発的に江戸の人に受けた。けれど、そのうち役者にもお客さんにも疎んじられるようになりました。役者にとっては美化してもらうに越したことはないでしょうし、お客さんにとっても、家に飾るものは綺麗な方が良かったのでしょうか。

 

現代でも、役者さんにとっては、自分が綺麗に写っている写真を使って欲しいでしょう。日常の一コマというコンセプトもあるけれど、それもたくさんある一コマのうち、美しいものを選ぶはずですし、むしろ選ぶべきだと思います。

 

たしかに、写楽の絵は、役者が美化されているようには見えない。けれど、悪意があるようにも、茶化しているようにも見えない。むしろ敬意を評しているように見える。茶化すにしては中途半端だし、そんな中途半端な取り組みのために、28枚もの絵を描いたとも思えない。それに、何かしら打算的な目的だったのであれば、これが世の中で受けないとわかればスタイルを修正すれば良かったはず。でも、それもしていない。

 

写楽は、役者本人にとってはコンプレックスとも言えるような、鼻の大きさとか、老いとか、そういったものも含めて役者の魅力であり、それを表現したかったのではないでしょうか。

 

いずれにせよ、写楽は、たった10ヶ月で写楽は人気を失うことになりました。

 

彗星の如く現れ、彗星の如く去って言った、今なお愛される画家、東洲斎写楽。改めて、彼の作品を楽しんでみたいと思います。

 

 

日本の魅力を、新しい形で教えてくれるゲーム

古事記にハマり、日本の神話という世界観をモデルにしたゲームがないかなと思って探していたところ、「大神」と言う作品に出会いました。

 

大神 絶景版 - PS4

大神 絶景版 - PS4

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: カプコン
  • 発売日: 2017/12/21
  • メディア: Video Game
 

 

映像、ストーリー、音楽、システム、全てについてよく考えられており、非常に魅力的な作品です。が、僕がこのゲームの最大の魅力だと思うのは、「筆」で描いたようなキャラクターと世界

 

本作は「筆」というアイテムを、とても効果的に生かした作品です。

 

「筆」の質感をふんだんに利用した描写、「筆」を生かした技システム、日本神話にインスパイヤーされた物語。日本の魅力を、新しい形で教えてくれる作品だと思います。

 

音楽も最高ですね。

 

 

 

 

自分らの言う才能て何や?

「で、でも僕にはお笑いの才能がないって」

するとガネーシャは鼻で笑うように言った。

自分らの言う才能て何や?それは、たまたま今の時代に生きとるたくさんの人から認められたちゅうことやろ?

でも、ワシからしたらそんなんめっちゃ小さいことやねん」

「自分らは 、たくさんの人を喜ばすことだけを 『成功 』て思てるみたいやけど 、たった一人の人間をたくさん喜ばすんも 『成功 』なんやで 」

(以上「夢をかなえるゾウ2」より引用)

 

ガネーシャのこの言葉、好きです。こういう角度で、「才能」という言葉を表現したものには接したことがなかった。

 

才能があるかどうか、多くの人に受け入れられるのかどうか、そんなことは小さなことだ、という。これも1つの価値観にすぎないが、僕は、とても共感できる。大切なひとを大切にする、その価値は、多くの人に認められるということと同じほど、価値あることだと信じている。

 

ガネーシャ、ええこと言うやん。 

夢をかなえるゾウ2 文庫版

夢をかなえるゾウ2 文庫版

 

 

話は少し変わりますが、この「才能」という言葉について、僕が大好きな作品があります。リーガルハイ2の伊藤四郎さんがゲストの回です。明らかにジ◯リの宮◯駿監督のパロディですが、内容は本当に素晴らしかった。

 

リーガルハイ2第7話 伊藤さんのセリフ

「私の目から見たら才能のあるやつなんて1人もいない。どいつもこいつもバカばっかりだ。そもそも才能なんてものはな、自分で掘り起こして、作り上げるものなんだよ。俺だって天才なんかじゃない。誰よりも必死に働き、階段を1つ1つ踏み締めてきただけだ。振り向いたら、誰も突いてきてない。怠けた連中が、ふもとでこう呟く。『あいつは天才だから。』冗談じゃない!ゆとりで育ったのんびり屋どもが本当に嫌いだ。俺より時間も、体力も、感性もあるやつが、なんで俺より怠けるんだ!だったらくれよ。無駄遣いするんだったら俺にくれ。もっともっと作りたいものがあるんだ。俺にくれ!!」

 

伊藤四郎さん、ほんまカッコよかったすなー。前半はとても大切なことだと思いますが、これまでも繰り返し言われてきたことでしょう。「才能ある」「天才」と言われる人にとっては、「お前らより努力してきただけや!」と言いたいことはありましょう。

 

僕が好きなのは、むしろ後半です。ものすごい正直な内心が現れていると思う。

 

人生やり切ったって、そんなことを思うことがあるのかな。突き詰めれば突き詰めるほど、もっともっとやりたいことが出てくる、そういうものなのかもしれない。本人にとっては、もどかしいかも知れない、一概に幸せな人生と言えるのかどうかもわからない。しかし、一生かけても時間が足りないと思うほどに、1つのことにハマることができるのは、羨ましい。

 

自分はまだ、そういうものには出会えていない。仕事には誇りを持っているし、やりがいもある。でも、上の境地には至っていない。

 

葛飾北斎は、「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインした(Wikipedia葛飾北斎」より引用)。彼は、それほどの作品を残したにもかかわらず、90歳の臨終の際、「あと10年、あと5年寿命があれば本当の絵描きになることができるだろう」と言ったと言われている。

 

極めようとするほど、自分の中では永遠に極められない。そういうものなのかも知れません。人生は、面白いですね。

 

北斎決定版 (別冊太陽 日本のこころ)

北斎決定版 (別冊太陽 日本のこころ)

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2010/10/27
  • メディア: ムック
 

 

澤田 瞳子「泣くな道真 大宰府の詩」 こんな道真公も魅力的!

菅原道真公が太宰府に左遷された後を舞台にしているという珍しい小説。陽気な描写が多く、とても楽しめました!道真公のファンとしては、こういう切り口も嬉しい。

 

本作品の道真公は、とにかく喜怒哀楽がはっきりしていて、あまり学者っぽくありません。

 

道真が、当時最高の教養人としての能力を生かして唐物の真贋の目利きを務めたり、太宰府の危機を救うために自ら最高の贋作を作りあげたり、左遷後の道真公は、辛いこともありながら、生き生きとしています。実際に、道真の太宰府での暮らしがこうだったんじゃないか、そんな風に思わせてくれる、素敵な作品です。こういう想像力が豊かでありつつ、ありそうな物語って、魅力的です。

 

なお、道真以外の推しメンは、大弐・小野葛絃!

彼は実在の人物で、初代遣隋使として有名な小野妹子の子孫です。ただ、小野葛絃その人について Wikipediaの項目もないので、彼自身については資料が多くないのかも。

 

本小説でも、登場シーンは多くないけれど、ラストがもう痛快!道真公と話したことはなかったはずなのに、互いに分かり合えていて、2人で都の嫌な役人を追い返す!読んでいて、スカッとします。

 

ちなみに、主人公は架空の人物だそうです。彼もなかなかいい味出してますよ(^^)

 

 

泣くな道真 大宰府の詩 (集英社文庫)

泣くな道真 大宰府の詩 (集英社文庫)